道徳を考える時代がきた!
目次
- 倫理のお話 - 道徳とは?
- 十二大戦 丑の名言 - 正しいことをするとは?
- キャンプの例でみる平等とは?
みなさんこんにちは。
一発目になるこのブログは僕の特に興味を持っているトピックである哲学のお話。
さらには倫理というものに焦点を絞って、最初の一歩を踏む出してみようかと思います。
I. 倫理のお話
さて、”道徳” と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか?小学校、あるいは中学校で道徳の授業を受けた人は、道徳に対してどんな印象を持っているのでしょう?
人に親切にすること?
ルールを守ること?
嘘をつかないこと?
悪口を言わないこと?
「道徳なんてひとそれぞれじゃないの?」という方もいるでしょう。日本国内だけでもそれぞれ考え方が違うのに、海外まで視野を広げたら、もう道徳をひとくくりでは考えられない。文化が違えば、道徳に対する考え方も違う。それが道徳というもだし、道徳とは人それぞれであるべきではないか。そんな、ことを考えてる人も少なくないと思います。この様な考え方を相対主義(Relativism)といいます。
その通り!道徳には「こうあるべきだ」という答えはないのです。だからおもしろいし、人間が長い年月をかけて考え続けているトピックなんです。
では、どうやって学校は答えのない道徳を授業で扱っていけばいいのでしょうか。また、人々はどやって道徳というものをとらえればいいのでしょうか。ハーバード大学の白熱教室をご覧になったことのある人はいますか?マイケルサンデル教授の政治哲学の授業でサンデル教授がこんなことを話していました:
<哲学を学ぶことはリスクを伴う。哲学とは、私たちがすでに知っていることに直面させて、私たちに教え、動揺させる学問である。慣れ親しんで疑いも持たないほどよく知っていることにを見知らぬものに変えてしまうことがある。一度、変わってしまえば二度と同じものにはなりえない。哲学とは私たちを常識や約束事、何となくそうだと思っていることに疑いを求める学問である。>
つまり、道徳も何かこうすることが正しいと思っていても、何かを知ることをきっかけとして、全然違うものに考え方を変えてしまうということなのではないでしょうか。
例えば
多義図形を知っていますか?このだましえ絵、見たことある人は多いと思います。
皆さんには、この絵がどのように見えますか?実は、この絵、若い女性と老婆が同時に描かれています。二つの絵に気づいてしまったら、もう元には戻れません。分からない人はページの最後に分かりやすい写真を添付してあるのでチェックしてみてくださいね。
さて、話を戻します。
道徳とは、ただ自分よがりの考え方だけでは成り立たないという事なのです。道徳というものがどういうものなのか、色々な人々の考え方をまずは吸収し、考えていくことが大切なんです。道徳に対する考え方のオプションを増やし、そこから改めて道徳というものを考え直すことが偏った道徳観を減らす方法だと、僕は考えています。これからいろいろな哲学者や偉人の道徳観念を取り上げていきたいと思っていますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
II. 十二大戦 丑の名言 正しいこととは?
「十二大戦?なんのこっちゃ?」と思ったひといますよね。これは、十二大戦というファンタジー小説で、2017年にアニメ化もされました。干支の十二支をモデルとした特殊能力を持った12人の人間が生き残りををかけて戦うというような内容です。
道徳と考えるうえで、切り離せないものの一つ、「正しいとは何か」です。
今回、登場人物の一人である丑の言葉が面白かったので取り上げてみようと思います。
第11話 寅と丑の回想場面での丑の「正しいことをする」とは何かについての一コマ:
<正しいことは、しようと思わなければ出来ないという事なんだがね。人は何となく間違う、流れに沿って悪へと落ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく。気づいたころには当たり前のように道を誤るもの。
それに相反して、気づかずのうちに正しいことをしていたとか、いつの間にかに善行をしていたとか、うっかり善いことをしていたとか、そういうことはない。絶対にない。意思がなくては正しさはない。正しい行動には正しい意思が不可欠なのだ。正しいことはしようと思わなければ出来ない。
もし君が、正しいことができなくて苦しんでるのならば、それは君が正しいことをしようと思っていないからだ。正しいことをしなくてもいい理由はいくらでもある。迷う材料はいくらでもあるし、不安材料も売るほどある。人のせいにするのもいいし、社会のせいにするのもいいだろう。時代のせいにだって、運のせいにだってできる。
だが、正しいことのできない人間はできないではなく、やらないだけだ、という事を自認すべきだがね。君も全く無理に正しいことをしなくてもいいが、出来ないわけではなく、やらないことを選んだという事をゆめゆめ忘れないことだ。
正しきものは皆、①したいと思い、すると決めて ②する
きちんと段階を踏むことだ。①の段階にいながらにして、②を悩むのは愚の骨頂だがね。>
さて、丑の言葉にみなさんはどのような思いになったでしょう。
彼の考えはシンプルです。正しいことをすると決めて、する。非常に思い切りがあって、心打たれる言葉だと思います。何かと、理由付けをして、正しいことをすることから逃げてしまう、そんな経験が僕にもあるので、心に刺さる言葉です。
ここで、誤解してはいけないのは、彼が説いているのは、「正しいことをしようとする意思」の大切さであるということです。「正しいことが何か」 ということは触れていません。各自の采配に任されているように解釈できます。
哲学の面白いところはこの私たちが生活する中で触れ合うような、小説やアニメの一コマにもあらゆる倫理的な疑問を見出していけるというところにあります。
丑のが言った、「正しいことをしようとする意思」はどこから来るんものなのか、またその意思とは何であるのか。「正しいこと」とは何をするべきことなのか。この様な疑問に何千年も前から取り組んでいるのです。
少しずつ”道徳”というもがどんな事を扱っていくのか、イメージしやすくなってきたでしょうか?
III. キャンプの例でみる平等とは
最後に、道徳を少し応用させて考えてみようと思います。
私たち日本人は資本主義の社会で生活をしています。努力して、働いて、その報酬としてお金をもらえる。そんな社会で生きています。一方、一昔前の中国やロシアのような社会主義の社会では、どれだけ有能か、努力しているかなどは関係なく、再分配によりみんなが平等なお金や生活を与えてもらえます。
結果として、経済的にはうまくいかずに社会主義は崩壊してしまったわけですが、はたして道徳的な面では資本主義と社会主義はどちらがより道徳的なのでしょうか?
資本主義に賛成する人の多くは、社会主義は他人任せになっちゃうから皆働かなくなってしまうので結果として経済が破綻してしまうのではないか、というのが多くの意見だと思います。
ではキャンプの例を見てみましょう。
グループAのキャンプ (社会主義的)
友達同士でキャンプをすることになりました。みんなそれぞれ、キャンプ道具を持っている人は持ってきたりお菓子を持ち寄りします。料理が得意な人はカレー作りを担当し、そうでない人はお皿洗いを手伝います。釣りができる人は魚をつり、キャンプの経験がある人はテントをたてます。各自が持ち合わせている能力や物をきょうゆうすることでみんなで協力して楽しいキャンプをしようとしています。
グループBのキャンプ (資本主義的)
友達同士でキャンプをすることになりました。みんなそれぞれが、キャンプに必要な道具を持ってきたり、お菓子を持ち寄ります。ただし、より必要度の高い道具を持ってきた人には自分の持ってきた道具の価値と比較し差し引いた分のお金や労働力を支払わなくてはいけません。料理のスキルのある者はない者に対してその見返りを要求できます。釣りができる者は、魚を一匹500円で仲間に売ります。お菓子は価値が同等になるように交換するか、代価を支払う必要があります。ある人は、おいしそうな山菜を見つけましたが、見つけた人は一人1000円で友達に請求します。みんなで資本主義にのっとった楽しいキャンプでみんなの平等をめざします。
さて、みなさんはどちらのキャンプがお好みですか?
つまり、この例で伝えたいことは、道徳というのは:
1.その物事の内容や過程を重視した考え方
2. その物事の結果に重きを置いた考え方
この二つが倫理学者が主に注目しているポイントです。
グループAの社会主義的なキャンプでは、みんなが共有する喜びや楽しみに価値を見出し共有することで内容を重視して目的を達成しようとしています。
グループBの資本主義的なキャンプでは、みんなが各自が持つ権利を主張できるような平等が結果として道徳的に重要と考えて目的を達成しようとしています。
資本主義が結果的には平等であり、経済を回すうえで必要な条件であるかもしれませんが、道徳的にみるとまた見方が変わってきます。
政治経済を考えとき、政策が道徳的かどうかも考慮されなければならない要素の一つなのです。そういう意味で、道徳という一見感情論とみなされて目を向けられにくい道徳の大切さを学ぶことは、新しいものの見方を喚起してくれる手助けとなるのではないでしょうか。
最後に、、、
今回は、簡単にではありますが”道徳”はどうなものなのか、どれくらい身近で、普段から考えられている事なのかについて書かせてもらいました。
昨今では合理化、単純化、機械化が進んでいるせいか、少し人々の心に道徳心というものが薄れてきているようなそんな感覚になります。AIの出現に人間が対抗できるのは想像力や人の心を推し量る能力です。
これから、みなさんに色々な哲学者や偉人の道徳的考え方をシェアして、さらに現代の問題に照らし合わせながら議論していけたらいいなと思っています。
最後まで、読んでくださりありがとうございました。
ぜひ、コメントでご意見などお聞かせください。
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